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東京高等裁判所 昭和55年(う)292号 判決 1981年4月01日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人中井川曻一、同須藤修が連名で提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官岡田照彦が提出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

<前略>

一控訴趣意として主張されるところは要するに、(一)原判決は、「罪となるべき事実」において、被告人は、Aから「何だ、Bと一緒か。」と言われたことに憤慨し、平手及び手拳で同人の頭部を数回殴打した旨判示したうえ、「弁護人の主張に対する判断」の中で、私憤に駆られて手拳で強く数回殴打した旨認定説示しているが、本件行為の動機・目的及び態様に照らせば、被告人は右Aの軽率な態度を是正するため、生活指導の一環として、説諭しながら平手及び軽く握つた手拳で同人の頭部を数回軽くたたいたにすぎないのであつて、私憤による行為とはいえず、また(二)右のような被告人の行為は教師としての正当な行為と認められるべきであるから、暴行罪は成立せず無罪であるのに、犯罪の成立を認めた原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認、証拠による推認・認定の過程に合理性を欠いた理由そこの違法及び法令適用の誤りがある、というのである。

二所論の(一) 本件行為の態様、動機・目的について

(一)  原審記録によると、被告人は、昭和三三年三月茨城大学教育学部を卒業し、同年四月教職に就き、昭和三八年四月以降水戸市立第五中学校に保健体育及び国語の教師として勤務し、本件当時は三年一組を担任していたものである。一方、Aは、当時中学二年八組に在籍し、クラスの中央委員(学級委員)をしていたものである。同中学校では、昭和五一年五月一二日同校体育館で全校生徒を対象とする体力診断テストを実施することになつていたため、当日朝の体育館内には、十数名の教師のほか四〇〇人前後の三年生が右テストを受けるため集合して待機していた。被告人は、当日立位体前屈テストの担当責任者となつており、Aは他の生徒五名と共に被告人の下で同テストの測定・記録係をすることになつていた。被告人は、同日午前八時五五分頃、同テストを行うため同体育館西北側入口から中に入り、北側のステージ中央より向かつて右半分に設営してある測定場所の方に歩きながら、「体前屈係の人は集まりなさい。」と声をかけたところ、被告人の左側の方でAが「何だ、Bと一緒か。」と言いながら、仲間の生徒にずつこけの動作(わざと急に膝を折つて体勢を崩し倒れるような仕草)をして見せたので、これを現認した被告人は直ぐ同テストの測定場所付近に同人を呼び、「何だB、とは何ですか。」と言つてたしなめた。

(二)  ところで、それに続くその後の被告人の行動については当日Aと共に体前屈テストの測定係をすることになつていた同じ二年生のC、D、E及びFが、本件発生当時いずれも被告人及びAの近くからその場の模様を目撃し、その情況を原審における証人尋問調書中で供述しているので、まずこれらの各証言内容をみてみると、C証人は、「Aと話しながら測定器具のあるステージの方に向かつて歩いていたところ、被告人が『A』と怒つたような感じで同人を呼んだうえ、同人と向かい合い、何かぶつぶつ言いながら同人の頭頂部の辺りを拳骨で一〇回前後はたいた。かなり力が入つており、音がすごく、同人の頭ははたかれる度に動いていた。被告人はすごく怒つている様子だつた。」旨証言している。そして同証言をその言葉どおりに措信すれば、原判示のとおり、被告人はAから自分の名前を呼び捨てにされたことに憤慨し、本件行為に及んだこと、そしてその行為の態様・程度もかなり強度の殴打行為であつたことを認定することも可能であるようにみえる。しかしながら子細に検討すると、同証言は、全体的にみてAの性格や人柄等の良さを強調しすぎる反面、被告人の本件行為がいかにも強烈であつたかのように殊更に誇張して表現している感を抱かせるだけでなく、同証人は、確たる裏付け資料を有していないと思われるのに、Aが死亡したのは被告人の本件行為が原因であるとすら証言しているのであつて、同証人は誤つた、ないしは独自の先入観に基づき私情を混えた証言をしているふしが随所にうかがわれ、しかも同証人は「捜査官の取調べの際、被告人のはたき具合は普通だつたとも言つた。いろいろ聞かれてはつきりしたことがわからなくなつてしまつた。」旨前記証言と矛盾するかのような供述ないしは記憶の不明確さを露呈するような証言をもしている。このように、その証言は、それ自体にわかに措信し難いのみならず、後述するように、その余の関係証拠と対比して検討すると、内容的にも他の目撃者の証言とかなり掛け離れており、信憑性に乏しいといわざるをえない。

これに対し、C証人を除くその余のDら三名の証人は、被告人の本件行為を「わりと強い感じでたたいた。被告人はかなり怒つているような感じだつた。」(E証言)、「ごつという音で振り返つたら、Aがたたかれている音であるとわかつた。諭すような感じではなかつた。」(F証言)、「怒つて四、五回たたいた。二、三回かすかにごつという音が聞こえた。」(D証言)旨それぞれ証言しているが、他方、同証人らは、「被告人は手を軽く握つて一、二回たたいた。いくらか怒つているみたいだつたが、声はそれ程大きくなかつた。力の入れ具合は、なでるより少し強かつたように思う。Aがこれに対して不満そうな態度を示したので、被告人が更に四、五回たたいたが、力の入れ具合は前と同じくらいだつた。被告人は多少加減してやつている感じだつた。」(D証言)、「被告人は肩から振り下ろす感じで佐藤を一〇回くらいたたいた。たたいては注意している感じだつた。触るよりは強くたたいた。男の先生がたたく程ではなかつた。被告人はAを諭すような感じであつた。」(F証言)、「被告人はわりと大きい声でAを含めた証人ら全員に注意してからAを殴つた。被告人の殴り方の強さは中程度だつた。音がしたかどうか憶えていない。男の先生が生徒を平手で殴るより弱い殴り方だつた。」(E証言)旨それぞれ証言している。そして、それらの各証言はその内容を子細に検討すると、その間に矛盾する部分も散見されるけれども、全体としてそれ程不自然、不合理な点が存在しないばかりでなく、前掲D証言及び原審証人Gの供述その他関係証拠によつても明らかなとおり、前記Dら生徒は、死亡した学友Aに対しては同情の念を有していた反面、被告人に対しては多分にそれとは逆の気持ちを抱いていたことが推察されるのであるから、Dら三名の証人が被告人の本件行為を悪く証言することはありえても、事実を曲げてまで被告人をかばい、殊更に被告人に有利な証言をしているとは考えられない。Dら三名の証人が本件行為の目撃状況について供述している部分はその大筋において信用してよいと認められる。

また、原・当審における証人Gは、「自分は本件当時体育主任として体育館内のステージ中央よりやや向かつて左寄り付近で測定準備の確認等をしていたが、その際被告人がAに対して『何だB、とは何ですか。』と叱責するような声を発したので、被告人の方を振り向いたところ、軽く拳を握つた被告人の右手が肩のあたりまで水平に上つていた。気合いを掛けているなとは思つたが、声も体育のとき普通に使う程度の大きさであつたし、特に制止するような雰囲気でもなかつたので自分は次の動作に移つた。本件の数か月後、教頭と共に生徒三名から事情を聞いた際、生徒らは相互に『こづく、という状態かな。』と言つていた。」旨述べており、また、当時体力測定を受けるため体育館内に集合、待機していた三年生のH、Iの両名も当審における証人尋問調書中でいずれも、被告人とAが向き合つていた際の情況ないし雰囲気について、普通に叱られているという状態であつた旨供述している。

そして、以上のような諸証拠に加えて、被告人がAに対してした本件行為が体育館内に集まつていた約四〇〇名前後の生徒及び十数名の教師の面前で、いわば衆人環視の中でなされているにかかわらず、同館内にいた大多数の者はこれに気付かず、格別周囲の注意をひくほどの出来事でもなかつたこと、その後しばらくの期間はこの時のことは学校内で生徒間の話題になつた形跡もないこと、Aは被告人にたしなめられ、手を出されたことに対して不満げではあつたが、別段反抗したり反発したりしたわけではなく、おとなしく叱られる態度であつたのであるから、被告人の方もさらに感情を高ぶらせて激しい行動に出るような状況ではなかつたこと並びに被告人が捜査段階以来一貫して供述しているところを併せ考えてみると、被告人が同人に対してなした言動としては、その場で約一、二分間にわたり、「今言つたことをもう一度先生に言つてごらん。」「言つていいことと悪いことがある。二年生になつたんだから、そんなことを判断できないのではいけない。」「そんなへらへらした気持ちでは三年生に対して申しわけがない。中堅学年としてもつとしやきつとしなければいけない。」等と言葉で注意を与えながら、同人の前額部付近を平手で一回押すようにたたいたほか、右手の拳を軽く握り、手の甲を上にし、もしくは小指側を下にして自分の肩あたりまで水平に上げ、そのまま拳を握り下ろして同人の頭部をこつこつと数回たたいたという限度において、これを認定するのが相当であるといわなければならない。そして被告人がAに対し右の程度を越え、それ以上に強烈な身体的打撃を加えたと認めるにたる証拠はなく、また被告人の右の行為が同人の身体に障害や後遺症を残したと認めるべき証跡も全く存在しないのであるから、原判決のように、強く殴打したと認定するには証拠上合理的疑問が残るものといわなければならない。

もつとも、Aの母親である原審証人Jは、Aは本件発生の同年五月一二日以後顔色が優れず、食欲もなく、倦怠感を示すような態度をとり、数日後には頭痛を訴えるなど、本件当日以後における同人の様子はそれ以前に比べると明らかに変調を来たしており、また、死亡当日同人の左側頭部には皮下出血(こぶ)ができていた旨供述するのであるが、同証人の供述には記録上他にこれを裏付ける資料が全くないばかりでなく、当時Aは風疹にかかつており、かつ、同人が活動期の少年であつてバレーボール部にも所属していたことなどをも考えると、仮に右母親の証言が真実であつたとしても、それらの症状が果たして被告人の本件行為と関連性を有するものであつたか否かはにわかに判断し難く、他にこれを肯認させるに足りる証拠は存在しない。

(なお、Aは、本件当日から八日後の同月二〇日に死亡していることが記録上明らかであるが、死亡の原因とみられる脳内出血が外因性のものであるか否かは不明であつて、被告人の本件行為と同人の死亡との間に因果関係が存在することを認むべき証拠は全く存在しない。)

(三)  以上の事実関係を前提として、次に被告人がAに対してなした行動の動機・目的について検討すると、本件行為が同人の「何だ、Bと一緒か。」という言葉とずつこけの動作に端を発したものであることは前示のとおりであるが、Aの右言動は、それ自体としては確かに担当教師に対する失望の念と軽侮の情を示した穏当を欠くものであつたといえるにしても、被告人に対して面と向つて殊更にしたというわけではなく、仲間の生徒同士の間で軽い悪ふざけの気分を深い考えもなく無造作にひようきんな仕草で表出したにすぎないものと認められるのであるから、被告人がたまたまこれを傍らで現認した際、それに激発されて直ちに冷静さを失い、教師としての立場を忘れ、前後の見境もなくなるほど憤慨するなどということは余りにも大人気ない不自然なことで、通常ありえないことであるといわなければならない。のみならず、被告人はAが一年生の時国語を担任しており、同人の性格が陽気で人なつこい反面、落ち着きがなく軽率なところがあることを知つていたが、被告人に対して話しかけたり、ふざけたりするようなことも比較的多い生徒であつたので、被告人としても同人に対してはある種の気安さと親近感を持つていたことも事実であり、さらにこれに加えて、被告人の年令、教師としての経験、教育熱心な日頃のまじめな勤務態度等をも併せ考慮すれば、原判決が認定するように、被告人がAの右言動によつて憤慨・立腹し、私憤に駆られて単なる個人的感情から暴行に及んだとすることは、行為の動機・目的を単純化しすぎるものといわざるをえず、むしろ被告人としてはAの前記のような言動を現認して、同人が自ら望んでまで中央委員に選出されていながら、従前の軽率さがまだ直つていないと思い、二言三言その軽はずみな言動をたしなめながら前示のような行為に出たのが、事の真相であつたと思われる。とすれば、被告人の本件行為の動機・目的の主要な本質的な部分は、中学二年ともなつた生徒に社会生活環境のなかでよく適応していけるような落ち着いた態度を身につけさせるため、教育上生活指導の一環としてその場で注意を与えようとするにあつたものと認めて差支えないものと考える。被告人の行為の具体的内容、その態様、程度が前示のようなものにとどまつていることも、右の認定を裏付けるものといわなければならない。もつとも、被告人が、教師の名前を呼び捨てにし、茶化すような仕草をした生徒の言動を現認した際、快からず思い、一時的にもせよ感情を害した事実があつたとしても、そのためにいたずらに興奮に駆られることなく、教育上必要な注意を与えるという自覚の上に立ち、また生徒に対してとつた行動自体も教師としての節度を著しく逸脱したものとは認められない本件のような場合には、心のなかにわずかに混在した不快の感情の起伏を捕らえ、それを理由にして教育的意図の存在を否定したり、不当に過小評価したりすることは許されないところであるといわなければならない。被告人の行為の動機・目的を単にAの言動に憤慨して個人的感情を爆発させたためとすることは誤りであるといわなければならない。

以上説示したとおり、原判決には、被告人の本件行為の態様並びにその動機・目的の認定において、重大な事実の誤認があると認めざるをえない。

三所論の(二) 本件行為の違法性の有無について

(一)  刑法二〇八条の暴行罪にいう「暴行」とは、人の身体に対する有形力の不法な行使をいうものと一般に解されている。そこで、被告人の本件行為が暴行罪にあたるか否かを検討してみると、その行為の具体的態様は、前記二の(二)において認定説示したとおりであつて、その程度は、比較的小柄なAに身長、体重ともに勝つた被告人の体格を考慮に入れても、はなはだ軽微なものといわなければならないが、この程度の行為であつても、人の身体に対する有形力の行使であることに変わりはなく、仮にそれが見ず知らずの他人に対しなされたとした場合には、その行為は、他に特段の事情が存在しない限り、有形力の不法な行使として暴行罪が成立するものといわなければならない。

(二)  ところで本件行為は、前に説示したように、体力診断テストの開始に先立つ準備段階の時点で、教師である被告人によつて生徒のAに対し教育上の生活指導の一環として行う意図でなされたものと認むべきものであり、また、その行為の態様自体もそのような意味・性格をもつた行動としての外形を備えていると認むべきものであるところ、学校教育法一一条は、「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」と規定し、教師が生徒に対して体罰にわたらない限り懲戒することを認めており、右の懲戒には、退学・停学及び訓告等の処分を行うこと、すなわち法律上の懲戒をすることのほか、当該学校に在学する生徒に対し教育目的を達成するための教育作用として一定の範囲内において法的効果を伴わない事実行為としての教育的措置を講ずること、すなわち事実行為としての懲戒を加えることをも含まれていると解されるのであるから、被告人の本件行為が果たして学校教育法による正当な懲戒行為として法の許容するところのものであるのか、あるいは、有形力の「不法な」行使として違法性を有するものであるのかについて、更に検討を加えなければならない。

そこでまず、教師が学校教育法に基づき生徒に対して加える事実行為としての懲戒行為の法的な性質を考えてみると、右懲戒は、生徒の人間的成長を助けるために教育上の必要からなされる教育的処分と目すべきもので、教師の生徒に対する生活指導の手段の一つとして認められた教育的権能と解すべきものである。そして学校教育における生活指導上、生徒の非行、その他間違つた、ないしは不謹慎な言動等を正すために、通常教師によつて採られるべき原則的な懲戒の方法・形態としては、口頭による説諭・訓戒・叱責が最も適当で、かつ、有効なやり方であることはいうまでもないところであつて、有形力の行使は、そのやり方次第では往往にして、生徒の人間としての尊厳を損ない、精神的屈辱感を与え、ないしは、いたずらに反抗心だけを募らせ、自省作用による自発的人間形成の機会を奪うことになる虞れもあるので、教育上の懲戒の手段としては適切でない場合が多く、必要最小限度にとどめることが望ましいといわなければならない。しかしながら、教師が生徒を励ましたり、注意したりする時に肩や背中などを軽くたたく程度の身体的接触(スキンシップ)による方法が相互の親近感ないしは一体感を醸成させる効果をもたらすのと同様に、生徒の好ましからざる行状についてたしなめたり、警告したり、叱責したりする時に、単なる身体的接触よりもやや強度の外的刺激(有形力の行使)を生徒の身体に与えることが、注意事項のゆるがせにできない重大さを生徒に強く意識させると共に、教師の生活指導における毅然たる姿勢・考え方ないしは教育的熱意を相手方に感得させることになつて、教育上肝要な注意喚起行為ないしは覚醒行為として機能し、効果があることも明らかであるから、教育作用をしてその本来の機能と効果を教育の場で十分に発揮させるためには、懲戒の方法・形態としては単なる口頭の説教のみにとどまることなく、そのような方法・形態の懲戒によるだけでは微温的に過ぎて感銘力に欠け、生徒に訴える力に乏しいと認められる時は、教師は必要に応じ生徒に対し一定の限度内で有形力を行使することも許されてよい場合があることを認めるのでなければ、教育内容はいたずらに硬直化し、血の通わない形式的なものに堕して、実効的な生きた教育活動が阻害され、ないしは不可能になる虞れがあることも、これまた否定することができないのであるから、いやしくも有形力の行使と見られる外形をもつた行為は学校教育上の懲戒行為としては一切許容されないとすることは、本来学校教育法の予想するところではないといわなければならない。

(三)  そこで右のように事実行為としての懲戒に有形力の行使が含まれると解した場合、次に、その許容される程度ないし範囲がどのようなものでなければならないかが問われなければならない。事実行為としての懲戒はその方法・態様が多岐にわたり、一義的にその許容限度を律することは困難であるが、一般的・抽象的にいえば、学校教育法の禁止する体罰とは要するに、懲戒権の行使として相当と認められる範囲を越えて有形力を行使して生徒の身体を侵害し、あるいは生徒に対して肉体的苦痛を与えることをいうものと解すべきであつて、有形力の内容、程度が体罰の範ちゆうに入るまでに至つた場合、それが法的に許されないことはいうまでもないところであるから、教師としては懲戒を加えるにあたつて、生徒の心身の発達に応ずる等、相当性の限界を越えないように教育上必要な配慮をしなければならないことは当然である。そして裁判所が教師の生徒に対する有形力の行使が懲戒権の行使として相当と認められる範囲内のものであるかどうかを判断するにあたつては、教育基本法、学校教育法その他の関係諸法令にうかがわれる基本的な教育原理と教育指針を念頭に置き、更に生徒の年齢、性別、性格、成育過程、身体的状況、非行等の内容、懲戒の趣旨、有形力行使の態様・程度、教育的効果、身体的侵害の大小・結果等を総合して、社会通念に則り、結局は各事例ごとに相当性の有無を具体的・個別的に判定するほかはないものといわざるをえない。

(四)  そこで本件についてこれをみると、先に認定説示したとおり、本件行為の動機・目的は、Aの軽率な言動に対してその非を指摘して注意すると同時に同人の今後の自覚を促すことにその主眼があつたものとみられ、また、その態様・程度も平手及び軽く握つた右手の拳で同人の頭部を数回軽くたたいたという軽度のものにすぎない。そして、これに同人の年令、健康状態及び行つた言動の内容等をも併せて考察すると、被告人の本件行為は、その有形力の行使にあたつていたずらに個人的感情に走らないようその抑制に配慮を巡らし、かつ、その行動の態様自体も教育的活動としての節度を失わず、また、行為の程度もいわば身体的説諭・訓戒・叱責として、口頭によるそれと同一視してよい程度の軽微な身体的侵害にとどまつているものと認められるのであるから、懲戒権の行使としての相当性の範囲を逸脱してAの身体に不当・不必要な害悪を加え、又は同人に肉体的苦痛を与え、体罰といえる程度にまで達していたとはいえず、同人としても受忍すべき限度内の侵害行為であつたといわなければならない。もつとも、同人の本件程度の悪ふざけに対して直ちにその場で機を失することなく前示のような懲戒行為に出た被告人のやり方が生徒に対する生活指導として唯一・最善の方法・形態のものであつたか、他にもつと適切な対処の仕方はなかつたかについては、必ずしも疑問の余地がないではないが、本来、どのような方法・形態の懲戒のやり方を選ぶかは、平素から生徒に接してその性格、行状、長所・短所等を知り、その成長ぶりを観察している教師が生徒の当該行為に対する処置として適切だと判断して決定するところに任せるのが相当であり、その決定したところが社会通念上著しく妥当を欠くと認められる場合を除いては、教師の自由裁量権によつて決すべき範囲内に属する事項と解すべきであるから、仮にその選択した懲戒の方法・形態が生活指導のやり方として唯一・最善のものであつたとはいえない場合であつたとしても、被告人が採つた本件行動の懲戒行為としての当否ないしはその是非の問題については、裁判所としては評価・判断の限りではない。そして関係証拠によつて認められる本件の具体的状況のもとでは被告人が許された裁量権の限界を著しく逸脱したものとは到底いえないので、結局、被告人の本件行為は、前述のように、外形的にはAの身体に対する有形力の行使ではあるけれども、学校教育法一一条、同法施行規則一三条により教師に認められた正当な懲戒権の行使として許容された限度内の行為と解するのが相当である。

四以上の次第であるから、Aに対して被告人がした本件行為は、刑法三五条にいわゆる法令によりなされた正当な行為として違法性が阻却され、刑法二〇八条の暴行罪は成立しない。従つて、本件公訴事実どおりに事実を認定し、被告人に暴行罪の成立を認めた原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認及び法令の解釈・適用の誤りがあるといわなければならないから、その余の論旨については判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八二条、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但し書きに従い当裁判所において次のとおり判決する。

本件公訴事実は、「被告人は、昭和五一年五月一二日午前八時五五分ころ、水戸市堀町一一六六番地の一所在の水戸市立第五中学校体育館において、同所に居合わせた同校二年生A(当時一三才)から「何だ、Bと一緒か。」と言われたことに憤慨し、平手及び手拳で同人の頭部を数回殴打する暴行を加えたものである。」というのであるが、被告人の本件行為は、前記認定のとおり、刑法上法令による正当行為と認められ、原・当審における全記録を精査しても右認定を覆して被告人を有罪と認めるにたる証拠がなく、結局本件は犯罪の証明がないことに帰着するから、刑訴法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをすることとする。

(小松正富 苦田文一 宮嶋英也)

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